まぁひきこもり気味の人がMMORPGをする傾向にありますし、MMORPGをプレイすることによってひきこもり気味になる人も居るでしょうね。
こればかりはしょうがない話です。
ただ、じゃあ外に出てなにをするか?というと困った話になってしまいます。
例えば十数年前までは、土手でバーべーキューしようが、公園で野球しようが、花火をしようが、頑固おやじに怒られたかもしれませんが、まぁできました。
あたりまえですが、今はできません。
子供たちにとっても、かつては当たり障りのない公園にすら、金属製の立派なすべり台が設置されて、当時よく滑った記憶もありますが今はありません。
公園によくあるタコのオブジェクトみたいなものが墓標のように突っ立っているだけでしたね。
てっきりソ連によるデモンタージュ(鉄を勝手に賠償で持っていく)でも行われたのかと思ってしまいましたが、あれって自治体がセルフで全部撤去したんですね。てっきりまだ戦後賠償でも払っているかと思ってしまいました。

もったいない・・・
果たしてセルフ焼け野原状態の公園で子供たちは何して遊んでいるのか?隅でゲームしてたりするんですよ。非常に滑稽な姿だなとしか思えません。
それはワレワレ大人には関係がない事にしても、何か外で遊ぶ要素があるかとすれば・・あっそうだ★
街コンとかいこうかなー(ノ∀`*)
ねぇよ。
ひきこもりは相対的に推奨されたから増えただけです。現代科学に言わせて伸びたゲーム産業の人的なパイが増えれば、そりゃ相対的にイカれた人間は増えていくでしょう。
しかし、散々娯楽を絞ったあげく、いまさらゲームだ、ひきこもりが問題だなんて言う権利がマスメディア如き集団に果たしてあるのでしょうか。
今回の件でドラクエ10自体をマスコミが叩いている訳ではありませんが、論調としてネットゲームがひきこもりと密接に関連付けられるよう差し向けている節は見受けられます。
結局テレビ番組を見ても、思想も哲学もなく、テレビの前に居る視聴者という存在に迎合するだけの「三流のツール」であるという事の再確認ができた程度でした。
これはもう飽き飽きしましたが、別にいつものこと。論じるに値しません。
しかし「マスゴミ許すまじ!!」と息を吐いているネットの世論の主も、今回はここぞとばかりにMMORPGをドラクエ10を叩いている状態です。
「こどおじ」「ドラクエ10のプレイヤーは異常」レッテル張りのオンパレードの醜悪さは見るに堪えませんね。
結局のところ自分がやってもいない関係のないものを悪と決めつけて、そこに唾を吐けば満足ということなんでしょう。
こちらも論じるに値しません。ただこれは開かれた空間の自由な意見であり、この意見は同時に守られるべきものだと思います。
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ドラクエ10は叩かれるべきではなく褒められるべきだ
今回の事件とMMORPGって何か関係ありますかと言われれば
ゼロです。
もう一度いいますが
まったくありません。
ドラクエ10有名プレイヤーは殺人を犯した罪人ではなく、被害者です。
MMORPG云々はひきこもりの因果関係に多少影響ある程度です。
今回の事件の盛り上がりは「ドラクエ10はドラクエの面汚しだからとりあえず叩いておけば良いじゃん!」という層ととお金を稼ぎたい愉快犯が迎合しただけです。
さて、ここから本題ですが、伝統的価値観が否定され、ひたすらに性急すぎた現代社会についていけない、それをひきこもりという形でしか表現できない「彼」にとって、ドラクエ10は依存できる唯一な存在だったんだと思います。
ここで問いたいのは依存は果たして悪いことなのか?
結論をいえば、依存という言葉は決して悪い言葉ではないです。依存できる存在が、その人の人生に救いをもたらします。依存がない生活って逆になんなんでしょうか。それって物凄いつまらない生活ではないですか?
これに同意できないとしても、依存しているものを取り上げたらどうなるか、そのリスクを考えるべきでしょう。
例えば川崎で起きた、目も耳も塞ぎたくなるような、あの悲惨な大量殺人の犯人には趣味もなく部屋も空っぽな状態であったというのは報道もされている事です。
今回の「彼」の部屋は空っぽではなく、そこに依存すべき対象があったわけです。
そんな「彼」から「依存」を取り除いたらどうなるのでしょうか?
さらに凶行に出る可能性を高くしますね。もちろん、ドラクエ10の依存性はアルコールと同じように、叩かれる要素はそりゃ無いとはいいません。
しかし、そういう危険性のある人間を抑制していたという可能性もまた論じられるべきだと思います。
「MMORPGは、ゲームはキケンだ!!」
この感情的な意見が年老いた日本社会の意見の主というのは、誠に嘆かわしいとしか言いようがありません。
ドラクエ10は叩かれるべきではなく、むしろ犯罪を抑制した可能性があります。
つまり、褒められるべきです。あえてそう言いたいですね。
ひきこもりは遠くない未来になくなる
そして社会問題と化しているひきこもり。まぁあんまり人の事を言えたたちではありませんが、将来的になくなる可能性が高いです。
ドーム都市による天井という概念の消失
一種の空間デザインや環境学に纏わることですが、人間は四角い空間にいると精神的にマイナスであるといわれています。
つまるところ、部屋という概念自体がマイナスの効果を齎してしまうのです。そこが暗く、狭い空間であるならば尚更ですよね。
人間が居住するのに適した環境とは、なるべく空間のみえない、そうでなければ丸みを帯びた環境がもっとも適切な状態ではないかという指摘です。
それで近年考案されている新しい都市の形に、ドーム型都市というものがあります。
町全体をドームに囲って、環境も温度も調整し、人間と自然が完全に分かれて生活するという環境です。
地下を免振にし、海水を流し熱を下げ、ビル群に比べてはるかに少ない表面積で熱効率も良いドーム型都市は利用できる国土の少ない日本にぴったりな新しい形の街です。
ドーム都市では雨も降らず傘も不必要。そうなれば、屋根を取り払い、空を常に見ながら人間は生活できるようになるかもしれません。
屋根がなくなれば、ひきこもりという言葉すらなくなるのです。

「囲いもり」とかそんな風になるかもしれませんが
かつての日本人は荒れ地を開墾して、山々を切り開いて段々畑をつくっていきました。
今はその先人が作り出した土地の上に無秩序に都市を肥大化させていっているだけです。
歪んだ現代社会である今こそ、新しい都市や環境の在り方を考え、新しい土地の概念を作り出すような、そういう創造的な事を考える時期に差し掛かっているのではないでしょうか。
脳を騙すという方法
それはさすがに10年、20年では無理だとしても、例えば脳を騙すことによっても開放感が得られ、実質的にヒキコモリ状態を緩和する事ができるかもしれません。例えばVRを被っている人で、視力が大幅に回復したという事例は有名な話です。
本人は画面は数センチという非常に近い距離に見ているのにも関わらず、そこが広大な空間であるように脳を騙し続けた結果、視力が回復したー。
つまりVR空間であっても人間は大きな開放感を得られ、それが精神において大変良い効果を与えることが考えられます。これは非常に面白い話ではないかと思います。
ひきこもりという概念が、そういう性急な社会や科学によって齎された存在であるとしたら、「ハロワに行かせろや、家から出せよ」とかそういう無秩序で剥き出しな社会的な解決策だけでなく、科学的な解決策もまた模索するべき重要な要素ではないかと思います。
ということで、ここ半年間くらい技術ブログっぽくなっていたんですが、飽きてきたので原点に戻り社会の闇関連の記事も書くことにしました。
まぁ言いたいこと言うためにつくったのがブログですからね。
ドラクエ10には不満もありますし、だからこそ今は休んでいます。
ただ言われもない誹謗を受けている現状に黙っていることはできません。たとえ最後の一人になっても擁護し続けます。

死守だ!死守せよ!