なぜ人はネカマになるのか? 縄文時代と古事記とエルおじ

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第二回 縄文時代と古事記とエルおじ
→エルおじのルーツは縄文時代と古事記にあった!世界でもっともネカマにやさしい国「日本」の歴史に迫る

前回はネカマが嫌われる根幹を分析して、エルおじというのが、実は蔑称から変化して、「♀キャラクター使い系のネカマな方」の新しい呼称になっている・・というお話してきました。

本日は、そもそもなぜ人はネカマになってしまうのか?という原因を日本の歴史を探求しつつお話したいと思います。

<なぜ人はネカマになるのか?>

実は以前から数ヶ月に渡って研究を続け(一体なんなんだろう・・・)分かってきたことがあります。
それはネカマは3つに分類することができるということです。

ひとつが、自己投影型ネカマです。
これは自分自身をキャラクターに投影するタイプで、その浅さ、深さ人それぞれです。

もうひとつが、偶像崇拝型ネカマです。
自分自身のキャラクターを娘のような感情で見守るタイプです。

そして、最後はネタネカマです。
ネカマをアピールすることで、他の人を笑わせようとするタイプです。これは今回省きます。

この三つに分類されます。
ただし、完全に分類はするのではなく、この比率は人によって大きく変わります。
例えば自己投影の比率が多くなれば、自分から積極的に直結厨を騙していくスタイルになりますしあくまでもネカマを構成する要素だと思ってください。

前回も記述しましたが、そネカマというのは、ご存知の通りネットオカマの意味の略称であって、したがって、ものすごくカジュアルな女装といえます。

<ネカマと女装の歴史>


日本初のネカマといわれるのは紀貫之であるとよく言われています。

Ki_no_Tsurayuki日本文学に多大な影響を与えた偉人ですが、或る日突然・・・

「男の子がやっている日記を、女の子私もやってみようかな♪」と脈打って日記を開始。これが後で言う土佐日記になりました。

紀貫之70歳。遅咲きの目覚めであった。

ただし、諸説あって、文学的関心から当時、女性でしか用いられなかったひらがなで、文章を書きたいと思ったという探究心から繋がっていった可能性はあるのですが、書いているうちに自身を女性だと思い込むようになった節もあるようで、確かに今風に言い直せば、日本初のネカマ・・・といえるのではないでしょうか。

先ほどもちょっと記述しましたが、ネカマは物凄く気軽にできる女装のようなもので、この女装の歴史もさらに研究する必要がありました。

そして、調べれば調べるほど、日本の文化と気っても切り離せぬ関係だと確信するに至りました。

例えば江戸時代の陰間や歌舞伎といったものも、まさしくそうですが、歴史上の人物にも関係があり、みんな大好き牛若丸こと、源義経も弁慶と初対面の時に女性の格好をしていたようです。

あの気性の荒い織田信長も、資料によっては、天女の服を着て女踊りをして、農民を喜ばせたこともあったそうです。

ウフフな展開ではけっこう受けだったらしく、実は意外とそっちの気があったのかも。
そう考えると、織田信成はご先祖の血を正統に受け継いでいるのかもシレナイ・・・。

さて、この分野を調べるとそれだけで記事も終わってしまいそうであったので、今回は日本建国の記された書物。古事記と日本書紀について詳しく見ていきます。

古事記に登場する、かの有名なヤマトタケル。古事記において、その名の通りに古代日本の英雄といえる人物です。

そして、ヤマトタケルが女装をして、敵対していた熊襲の大将の懐に入り込み、ぬっ殺すというのは有名な話ですが、実はそんな浅いところに留まらず、話の鍵がまさしくこの”女装“なのです。

敵を討伐するために軍勢を従えるはずが、まるで集まらず、助けを請うために伊勢のおばさんを訪ねたところ、なぜか巫女装束を渡される超展開。

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ヤマトの国は既にはじまっていた。

当然、熊襲軍と正面対決でできるはずもなく、そこで選んだ手段が先ほども記述したとおり、男の娘への転職だったのです。

余談ですが、そのターゲットにした大将と一歩手前までいった(以下略

古事記には、その対を成す男装少女も登場する・・・うーん、歴史の教科書に一ページも載っていないのが残念でなりません・・。

神話と言ったらそれまでですが、世界の宗教というのは、ほとんど神話が混じります。
あえて古事記や日本書紀だけ、そんなの神話だからありえないと突き放すのはちょっと悲しいですよね。

話を戻しますと、キリスト教では異性装は禁止されており、そういった西洋的価値観が輸入されたことで、明治~昭和初期では異性装は退廃的とされて禁止されてしまいましたが、日本の歴史を深くみると、”戦前”が異質で、性に対してどうしようもなく適当、かつ寛容なのが本当の姿なのかもしれません。

そう考えると、草食化がー同性愛がーとかやたら耳にする今の状況は、特にリベラルな考えという訳ではなく、本来へ回帰する考えそのものなのかもしれません。

偶像崇拝型ネカマを分析する

<縄文時代と美少女フィギュア>

MMORPGで自分の使うキャラクターに愛着を持つのはあたりまえのこと。
しかし、自己投影はしていないと思う方は多いはずです。

それでも愛着があることには変わりませんので、髪型にこだわりがあったり、ドレスアップをがんばったりするわけです。

この感情は、フィギュアを買ってきて、そのフィギュアを愛でることに酷似しています。

その行為は、実は偶像崇拝であるといえるのです。

なぜ、フィギュアを飾るかといえば、癒しを求めたりそういった生活に潤い(?をもらたすものであるということですが・・この感情はまさしく、天にすがるような信仰そのものではないでしょうか。

しかし、まったく異常なことではなく、むしろ自然な行為であるといえます。

意外ですが、実はその根幹が縄文時代にあるのです。

縄文時代は、教科書でもさして取り上げる機会もない、どうでもいい時代と見受けられますが、実は日本人の精神的にヒントが隠された時代で、当時の日本列島に住む、ぼくらのご先祖さまは、荒れ狂う大自然の片鱗で、ひたすらフィギュアを作り続けていたという狂気のヘンタ・・クリエイター集団といえる・・・かもしれません。

こんな縄文土器が日本列島で多数出土しています。

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もちろん土器は食事を補完したり、そういった生活に直接関連することに使われていたようですが、そんな厳しい自然環境下ではまったく役に立たないであろう、フィギュアも制作していたのです。

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↑ご先祖様が作り出した、美少女フィギュア第一号

例えばこれは女性の土偶。
感性は今とはダイブ違いますが、しっかりと作るべきところ(?)は作りこまれています。

ただし、こういった像は、世界各地の文明で作られてきたのは事実です・・・が、日本列島だけがやはり特殊なのです。

エジプトでは民が進んでマスクを作ることはありませんでしたし、作るものもややリアル感が強い、つまり本物志向だったわけです。

それに引き換え、縄文時代のご先祖さまは、ごくフツーの男性がこういった美少女フィギュアを作成したいたようです。

そして、この土偶を見てください。
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この目の大きさ、あれどこかで見たことがあるような・・。

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そう、実は萌えキャラの目の大きさにそっくりなのです。

縄文土器はエジプトやその他の文明のように、リアルな人間を作ったり描くのではなく、デフォルメされたキャラクターを創造していたのです。

日本の国の歴史はおおよそ2000年。どんなに長くとも、2700年に達しませんが、縄文時代はなんと1万年以上。
日本人の真のルーツは、この縄文時代にある・・・のかもしれない。

そして、神道は宗教ではなく、慣習のような存在であると思うのですが、この神道の考え方というのは、一言で言えば「トイレの神様」のような話で、この机にもパソコンにはありとあらゆる物に神様が宿っているという考え方です。

これに従えば、諸説あるものの、縄文時代の土偶は神の化身であり、いたることろに神が存在するという神道の話に繋がってくるのではないか・・・?

そして、ここで重要になってくる点として、出土した土偶は女性の形がほとんどであることが挙げられます。
意外かもしれませんが、器のような典型的な縄文土器も、女性をモチーフとした説があるようです。

なぜ女性を模した土偶ばかり作られていたかと言えば、例えば多くの土偶は実は妊娠している女性を象っていることから考えて、新しい生命を宿す存在を、神聖なものとして捉えていたのではないか、というのが有力な説のようです。

したがって、縄文時代で崇拝の対象のひとつは「女性」であったといえるのではないでしょうか。

そういった、女性キャラクターに対しての崇拝のルーツは、既に縄文時代から確立されていたのです。

自己投影型ネカマを分析する

<弥生時代と神道と女装>



次に自己投影型ネカマを分析していきます。

いやいやそんなのしてる訳ないだろ、と多くの方が思うかもしれません。

しかし、例えばどこかの無垢なキッズにあなたは女性ですか、と聞かれた時にどう答えるでしょうか。
ここで、はい男です。と答えられなければ、少なくとも、そのキャラクターに自己投影しています。
ですが、自己投影は果たして異常なことなのでしょうか?
こちらも別に異常なことではありません。
そして、そのヒントは縄文時代を経て次の時代。ナント弥生時代にあったのです。
これは厳密には日本列島ではないのですが、弥生時代の西南諸島(沖縄地方)の遺跡で巫女と思われていた遺骨が発掘されました。なんとこの巫女さん、男性であったという事例があるそうです。

この時代、そこまで男女の服装に差はないらしいですが、身に着けていた装飾物で判別されたようです。そしてこの巫女という職業が重要であって、巫女は、神様と対話する神聖な存在でもあるということです。こういった神聖な行為からくる女装は、弥生時代にはじまり、近代まで続きます。
それが行事として、なんと現存している事もあるのです。

•江戸川区真蔵院「雷の大般若祭り」
結核にかかった妹を治癒しようと、妹を服を着て厄払いをしたところ無事回復。これが村に伝わり、女装して祭りを行うようになったとか。

•川場村門前地区「春駒祭り」
豊作を祈るために、女装して祈願したことが発祥のようです。

•横浜市八坂神社「お札まき」
村にコレラが蔓延して大きな危機に。
神社の神様である牛頭天王を祈願した踊り子が男の娘だったのが発祥。

どれもなんでそこで女装するん!?と確かに今からしたら意味不明な行為と見られてしまうかもしれませんが、そもそも女装でパワーを貰うことによって、自分自身に神様を宿す・・・と考えていたのが、当時の先人達であったのだと思います。

つまりネカマは神を自らに宿す、神聖な行為なのかもしれない・・・・!

したがいまして、縄文時代で神聖な女性のフィギュアをつくり、弥生時代から江戸時代まで、そのフィギュアと一体となるための行為に発展していきました。

その過程はまさしく、「偶像崇拝型のネカマ」から「自己投影型のネカマ」に進化する過程と一致します。
ただ、念のために、ここを付け加えておくと、どちらに振れるにしてもその人次第です。

<寛容すぎるナゾの国、ニッポン>

こういった文化的な根強い背景があり、日本は西洋やその他の東洋の国に比較しても、非常にネカマ、女装に寛容な歴史を持つ、きわめて独特なお国柄といえるでしょう。

それは数字にも表れており、FF14の西洋と日本の性別の人口分布を表したこちらの画像。

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あまりにも西洋との差が大きいのがわかります。
ちなみに、なかの人比率は日本と西洋では、そんなに差はないようです。

また、オカマに寛容な国として、タイが挙げられますが、実はタイでオカマが多いのは、幼少期に父親と母親が離別してしまい、母子家庭で育てられるケースが多く、男性的な自我が育ちにくいという厳しい土壌があります。

差別なども根強く、日本ほど寛容とはいえない現実があるようです。

そもそもなぜ日本はこれほどまでに、性に対して適当なのでしょうか。

輪廻転生の存在を認めている。つまり心はと体は別々にあり、人は死んだら、違う体に心を宿すというのが仏教の考えがあるのは、確かですが、やはり日本固有の思想である神道も、深く関係していると思います。

そもそも宗教という単語自体が西洋的な考えであって、神道は宗教とはいえないのかもしれません。
神道は慣習、もしくは原始宗教のような教典を持たない非常にガラパゴス的な特性をもった考えで、あらゆるものを受け入れる寛容な思想に繋がっていったのだと思います。

そしてこの寛容すぎる思想は、何も性別に留まらず、なぜか縁も縁もないクリスマスやハロウィンを楽しんでしまうことにも繋がります。

そもそも江戸時代までの日本の宗教観も、仏教と慣習でもある神道が混ざりあって、神仏習合、つまり仏さまも神さまを混ざっちまった状態でありましたので、元々、外のものを形を変えて取り入れる文化的な土壌は既にあったのです。

ネカマ、女装の根っこを、日本の歴史と照らし合わせながら分析していきましたが、調べてみれば見るほど、歴史っておもしろいな~と改めて思った次第でした。

次回 2045年 エルおじの旅は、過去から未来へ目を向けます。
実はほとんどネカマを語らず、VRMMORPGの世界は果たして現実のものになるのか!?ということに焦点を当ててしまった記事ですが、未来の世界を夢想しながらお話したいと思います。

神を作り出していた縄文時代。神になろうとした弥生から近代。そして2045年。人類は神を越えていく・・・!?

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mesa3

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